スポンサードリンク

2007年3月31日

建築家フランク・ロイド・ライト




あなたが本当にそうだと信じることは、
常に起こります。
そして、信念がそれを起こさせるのです。

医者は自分のミスを闇に葬ることができるが、
建築家は依頼者に、
ツタ科の植物を植えるように勧めることしかできない。

敷地に特徴となる自然があるのであれば、
住宅が敷地から成長しているかのようにし、
環境と呼応するように形づくりなさい。
そのような自然がない場合は、
自然が機会を与えられた場合に
どうなるであろうかを想定して、
できるだけ静かに、本質的で、有機的にしなさい。

暖炉は家の心臓である。

テレビは目のチューインガムである。

 フランク・ロイド・ライト(アメリカ)






フランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright、1867年6月8日 - 1959年4月9日)は、アメリカの建築家。アメリカ大陸と日本に多くの作品を残している。ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエと共に近代建築の三大巨匠と呼ばれる(ヴァルター・グロピウスを加えて四大巨匠とすることもある。)。


生涯
ウィスコンシン州生まれ。ウィスコンシン大学マディソン校土木科を中途退学し、シカゴへ向かった。叔父ジェンキンの紹介により、建築家のライマン・シルスビーの事務所で働き始めたが、1年ほどでシルスビーの事務所を辞し、ダンクマール・アドラーとルイス・サリヴァンが共同して設立したアドラー=サリヴァン事務所へと移った。アドラー=サリヴァン事務所ではその才能を見込まれ、事務所における1888年以降のほとんどの住宅の設計を任せられた。ライト自身もサリヴァンをLieber Meister (愛する師匠)と呼んで尊敬し、生涯にわたりその影響を肯定し続けた。


ロビー邸アドラー=サリヴァン事務所に勤めてもうすぐ7年になろうとした1893年、サリヴァンに事務所での設計業務とは別にアルバイトの住宅設計を行っていたことを知られ、それを咎められたライトはアドラー=サリヴァン事務所を辞し、独立して事務所を構えた。1894年のウィンズロー邸は独立後最初の作品である。独立した1893年から1910年までの17年間に計画案も含め200件近い建築の設計を行い、プレイリースタイル(草原様式 Prairie Style)の作品で知られるようになった。1906年のロビー邸はその代表的作品である。プレイリースタイルの特徴としては、当時シカゴ周辺の住宅にあった屋根裏、地下室などを廃することで建物の高さを抑えたこと、水平線を強調した佇まい、部屋同士を完全に区切ることなく、一つの空間として緩やかにつないだことなどがあげられる。

ヨーロッパの建築様式の模倣である新古典主義が全盛であった当時のアメリカにおいて、プレイリースタイルの作品でもってアメリカの郊外住宅に新しい建築様式を打ち出し、建築家としての評価を受けたライトであったが、この後1935年のカウフマン邸(落水荘)までの間、長い低迷期を迎えることとなる。そのきっかけになった出来事が1904年に竣工したチェニー邸の施主の妻ママー・ボースウィック・チェニーとの不倫関係であった。当時、ライトは1889年に結婚したキャサリン・リー・トビンとの間に6人の子供を設けていた。既にチェニー夫人と恋仲にあったライトは妻キャサリンに離婚を切り出したが、彼女は応じなかった。1909年、42歳であったライトはついに事務所を閉じ、家庭をも捨て、チェニー夫人とニューヨーク、さらにはヨーロッパへの駆け落ちを強行する。1911年にアメリカに帰国するまでの2年間に設計活動が行われることはなかったが、その間に滞在したベルリンにおいて、後にライトの建築を広く知らしめ、ヨーロッパの近代建築に大きな影響を与えるきっかけとなったヴァスムート社出版のライト作品集の編集及び監修に関わった。


帝国ホテル旧本館1911年に帰国したライトを待っていたのは、不倫事件によって地に落ちた名声とほとんど来ない設計依頼という危機的状況であった。依然妻は離婚には応じていなかったが、ライトはチェニー夫人との新居を構えるべく、母アンナに与えられたウィスコンシン州スプリング・グリーンの土地にタリアセンの設計を始めた。その後、少しずつではあるが設計の依頼が増えてきたライトを更なる事件が襲った。タリアセンの使用人が突如発狂し建物に放火した上、チェニー夫人と2人の子供、及び弟子達を惨殺したのである。現場に出ていたライトは難を逃れたが大きな痛手を受け、さらには再びスキャンダルの渦中の人となった。そのような中で依頼が来たのが日本の帝国ホテルの仕事であった。

そのスタイルには変遷もあり、一時はマヤの装飾を取り入れたことがあるが、基本的にはモダニズムの流れをくみ、幾何学的な装飾と流れるような空間構成が特徴である。浮世絵の収集でも知られ、日本文化から少なからぬ影響を受けていることが指摘されている。

孫娘に、アカデミー賞女優のアン・バクスターがいる。


代表作

オークパークにある自邸と事務所
カウフマン邸/落水荘
グッゲンハイム美術館ライト自邸と事務所 (アメリカ合衆国イリノイ州オークパーク、1889)
ウィンズロー邸(1894)
ラーキン・ビル(1903)
ユニティ教会(1904)
ロビー邸(1906)
ミッドウェー・ガーデン(1913)
タリアセンⅡ(1914)
タリアセンⅢ(1925)
カウフマン邸/落水荘(1935-39)
ジョンソンワックス社(1936-39)
ジョンソン邸(1937)
タリアセン・ウエスト(1937)
ジョンソンワックス研究棟(1944)
グッゲンハイム美術館(1943-59)
ベス・ショーロム・シナゴーグ(ペンシルベニア州エルキンズ・パーク、1954)
マリン郡役所(1957-66)
リトル・ハウスの居間がメトロポリタン美術館に再現。また帝国ホテル玄関のオブジェの一つも展示。
日本国内に現存する作品

帝国ホテル  (1967年に取り壊され、正面玄関部分のみが愛知県犬山市の博物館明治村に移築、1923年)
山邑邸 (現 ヨドコウ迎賓館、兵庫県芦屋市、国の重要文化財、1924年)
自由学園明日館 (共同設計:遠藤新、東京都豊島区、国の重要文化財、1926年)
旧林愛作邸 (現 電通八星苑、東京都世田谷区、非公開、1917年)

0 件のコメント:

コメントを投稿

登録 コメントの投稿 [Atom]

<< ホーム