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2007年4月5日

建築家ル・コルビュジエ


住宅は住むための機械である。

ニューヨークの摩天楼は小さすぎる。

機能はデザインに一致する。

新しい精神がある。それは
明晰な概念に導かれた建築と統合の精神である。

新しい精神が培われるのは
実用性を追求する工業生産においてだ。

近代建築上における重要な課題は
幾何学によって解決される。

経済性を理解し計算力を備えたエンジニアは
私達の時代と世の中を調和に導いてくれる。

建築は光のもとで繰り広げられる
巧みで正確で壮麗なヴォリュームの戯れである。

美しさは装飾ではなく自然の秩序にこそ宿る。

芸術は心を込めて美を追求することだが
装飾は表面的な外観を手軽につくろうものだ。

人を思いやり喜びを与えるように考えて
建物をつくるのが建築家の使命だ。

人が機械に操られることなく使いこなすには
自然に還るべし。

住宅は生活の宝石箱。幸せをつくる機械だ。

 ル・コルビュジエ(スイス-フランス)



ル・コルビュジエ



ル・コルビュジエ(Le Corbusier、1887年10月6日 - 1965年8月27日)はスイスで生まれ、フランスで主に活躍した建築家。本名はシャルル=エドゥアール・ジャンヌレ(Charles-Edouard Jeanneret)。フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエと共に近代建築の三大巨匠と呼ばれる(ヴァルター・グロピウスを加えて四大巨匠とすることもある。)。


経歴
スイスのラ・ショー・ド・フォンに時計職人の父エデゥアールとピアノ教師の母マリーの次男として生まれた。本来は時計職人を養成する地元の装飾美術学校で学んだ彼は、大学における正規の建築家教育を受けていない。1908年にパリへ行き、鉄筋コンクリート造の先駆者であるオーギュスト・ペレの事務所に、1910年にはドイツ工作連盟の中心人物であったペーター・ベーレンスの事務所に籍を置き、建築を学んだ。1911年から半年をかけてベルリンから東欧、トルコ、ギリシャ、イタリアを巡る東方への旅へ出た。ラ・ショー・ド・フォンの美術学校で教鞭を執った後、1914年に鉄筋コンクリートによる住宅建設方法であるドミノシステムを発表。1917年にパリへ戻り、1920年にダダの詩人のポール・デルメ、ピュリスムの画家のアメデ・オザンファンと共に雑誌「エスプリ・ヌーヴォー」(L'esprit Nouveau)を創刊、この頃からル・コルビュジエというペンネームを用いた。

1922年に従兄弟のピエール・ジャンヌレとともに事務所を構えた。1925年のパリ万国博覧会(いわゆるアールデコ博)では装飾のないモダニズム建築のエスプリ・ヌーヴォー館を担当、アール・デコ様式の展示館が並ぶ中で異彩を放った。また同年、パリ市街を超高層ビルで建て替えようという都市改造案を発表した。低層過密な都市よりも、超高層ビルを建て、周囲に緑地を作ったほうが合理的であるとするもので、もちろんパリでは採用されなかったが、これ以降の各国の都市計画に大きな影響を与えた(「輝く都市」)。 1927年、ドイツ工作連盟主催の住宅展に参加。


サヴォア邸1928年以降に開催されたCIAM(Congrès International d'Architecture Moderne、シアム、近代建築国際会議)[1]では、ヴァルター・グロピウス、ミース・ファン・デル・ローエらとともに参加し、中心メンバーとして活躍した。CIAMは国際的な近代建築運動の拠点になった。1931年竣工のサヴォア邸はル・コルビュジエの主張する近代建築の5原則を典型的に示し、代表作として知られる。またル・コルビュジエの、「住宅は住むための機械である(machines à habiter)」という言葉はよく引用される。

第二次世界大戦後、ドミノシステムに基づく集合住宅マルセイユのユニテ・ダビタシオン(L'unité d'habitation de Marseille)を建設(1947年-1952年)。ユニテは住居単位を意味し、かつて主張した「輝く都市」の実践であった。また1951年からはインドのチャンディーガルの建築顧問として都市計画に関わった。


ロンシャン教会後期の代表作ロンシャンの教会堂(1955年竣工)はカニの甲羅を形どったとされる独特な形態で、鉄筋コンクリートで可能になった自由な造形を示している。ここでは従来主張していた機能性・合理性とは異なった表現に達した。

1965年南フランスのカプ・マルタンで水泳中に死去。


評価
画家から出発し、建築家として活動をはじめた後も画家としての制作活動を続けていた。

歴史上の功績は、鉄筋コンクリートを利用し、装飾のない平滑な壁面処理、伝統から切り離された合理性をモットーとしたモダニズム建築の提唱者ということになる。彼の思想は世界中に浸透したが、特に1920年代の近代主義建築の成立において、造形上に果たした功績が大きい。彼の造形手法は一つの規範となり、世界に広がって1960年代に一つのピークを極めた。(その反動から1980年代には装飾過多、伝統回帰的なポストモダン建築も主張されている)

西洋では石積みなどが伝統的だったが、コルビュジエはスラブ、柱、階段のみが建築の主要要素だとするドミノシステムを考案した。その後の代表作サヴォア邸は、コルビュジエの主張する「新しい建築の5つの要点(ピロティ、屋上庭園、自由な平面、水平連続窓、自由な立面)」(近代建築の五原則)を体現している。クック邸が5つの要点を体現した最初の作品であり、サヴォア邸でより完成度の高い実例を示した。

都市計画の分野でもパリ改造計画案を発表したほか、CIAM 第4回会議でル・コルビュジエらが提案したアテネ憲章(1933年)は、公開空地など、以後の都市計画理論に多大な影響を与えた。後にはチャンディーガルなどで実践している。 終始モダニズムの論客として、新しいビジョンを示す論陣を張ってきた彼は、実作においては自由な芸術家としての立場を貫き、必ずしも常に論理性を重視しているとはいえない。しかし、作品の独創性や新規性により、そうした矛盾を問題視させない能力があったといえる。その点は大いに誤解されたままであるが、ある意味で本人が意図した通りなのである。晩年のロンシャン教会(ノートルダム・デュ・オー礼拝堂)は造形を特に強調し、それまで主張していたモダニズム建築からかけ離れた作品として注目される。

単純な構成で快適さを求めたコルビュジエの家具は、GRAND CONFORT(大いなる快適)と呼ばれLC3、LC4(椅子)は有名である。

1997年4月から発行されている10スイス・フラン札には彼の肖像と作品が描かれている。


建築作品
1923年 ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸
1925年 小さな家
1926年 クック邸
1929年 サヴォア邸
1952年 マルセイユのユニテ・ダビタシオン
1955年 ロンシャン教会
1959年 東京国立西洋美術館(基本設計) 
フランスからの松方コレクション返還に際して建設された。コルビュジエは設計のため一度来日し、基本設計をまとめた。実施設計は弟子の前川國男・坂倉準三・吉阪隆正が担当した。
1960年 ラ・トゥーレット修道院

[編集] 著作等
建築へ(建築をめざして)1923
今日の装飾芸術 1925
住宅と宮殿 1928
輝く都市(邦訳:鹿島出版会SD選書)1935
新しき芸術
伽藍が白かつたとき(邦訳:岩波書店)1937
モデュロール1 1948
モデュロール2 1955

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